Ciel Bleu: 2007年 Archive
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日々のちょろいも 2ndのちょろいもさんに教えて頂いた本なんですが、これがこれが凄かった...! 全編通して面白いんだけど、凄いのは第1章。これは、「本を読む」とはどういうことかという話ですね。もう何ていうか、日頃私が感じていたことをズバッと文章にしてくれたような感じ。色んな作家さんの本からの引用を含め、メモを取りまくっちゃいました。
ご本人の文章から1つ引用すると
ナポレオンは何をした
本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。その気になれば、ちょっとした時間のすき間を利用して、いくらでも読めるものなのである。たとえ、それが二分、三分といった細切れ時間であっても、合計すれば一日二十、三十分にはなるはずだ。一ページ一分かかるとしたって、毎日三十ページ近くは読める。土日に少し時間を稼げば、新書程度の分量なら一週間に一冊は読了できる。要は、ほんとうに本が読みたいかどうか、なのだ。(P.34)
「本を読んでる時間がなくて~」という人は、要するに読書の優先順位がそれほど高くないってことなんですよね。
そう理解してます、いつも。別にそれがいいとか悪いとかではなくて。
そしてもう1つ。
どのくらいの飲酒運転の有罪判決は、保険にとどまるん。
本一冊を読んで、いきなり自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも「本を読む」ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を謳う本ばかりに手を出してしまうのである。本は栄養ドリンクではない。(P.
なぜマップが考案されました28) 他の作家さんの文章も1つだけ引用させて下さい。
文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら<ためになること>を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながっていないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ28)
楽しむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う。(P.
これは谷川俊太郎さんの『「ん」まであるく』(草思社)から。
そうだよね、やっぱり基本は「楽しむ」だよねっ。
以前読んだカルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」にも、「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ」 という言葉がありましたよ。やっぱり「楽しむ」こそが、読書の基本。それだけが全てと言いたいぐらいの、基本中の基本。
ということで、読みたくなるような本もいっぱい登場したんですけど、その中でありゃりゃーとなっちゃったのは、ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」と谷沢永一の「紙つぶて」でした。
「ヘンリ・ライクロフトの私記」については、「およそ読書人と呼ばれる人の本棚に、これがないことはありえない」。
そして、「紙つぶて」が本棚に並んでない人が、「いやあ、本っていうとさあ」なんて抜かしても、無視するに限る、だそうで...
すみません、どちらも未読です。でもそんな私でも、本を楽しむことにかけては誰にも負けませんわ!
「ヘンリ・ライクロフトの私記」は面白そうなので、早速探してみようかと~。あ、「紙つぶて」も読んでみたいんだけど、こちらは「稀代の絶品書評コラム全455篇」とのことなので、もう少し日本文学を読んでからの方がいいかも。押さえるべき作品を全然押さえてない私ですから、猫に何とやらの状態になってしまいそうです。(光文社新書)
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